【ほんの前置き】
本文へ進む前に、ひとつだけ。
このブログでは、私の口内を賑わせている「部分入れ歯」のことを、あえてエレガントに「デンチャー(Denture)」と呼称しております。
「入れ歯」と書くとどうにも生活感が漂いすぎて、私の繊細なガラスのハートがパツンとひび割れてしまうのです。どうか私の口内に棲まうその無機質な相棒を、異国の美しきガジェットのように想像して見守ってくださいませ。
D+14:調律の椅子と、一筋の光明
本日は、デンチャーを使い始めてからちょうど2週間。初めての検診日である。
私はこの2週間で募りに募った「プラスチック製の異物に対する不満」を、懇切丁寧に箇条書きでまとめたメモを携え、やさしき担当医へ提出した。
「とにかく話が通じないのが苦痛すぎます」
神聖なる削合(さくごう)の儀式を経て、戻ってきた我が相棒。
再び口内へとドッキングさせた瞬間、私は目を見張った。
なんと、口内を我が物顔で占拠していたあの「圧倒的なプラスチック感」が、およそ口内の4分の1程度へと劇的に削ぎ落とされているではないか。
素晴らしい。これならば、仕事中に装着していても乗り切れるのではないかしら、と一瞬の希望が胸をよぎる。相変わらず「らりるれろ」の滑舌は絶望の淵にあるけれど、元々私の滑舌など洗練されたものとは程遠かったのだから、案外周囲には気づかれないかもしれない。
お会計、780円なり。安い。安すぎる。
私の口内に、一筋の麗しい光が差し込んだ瞬間であった。
この軽量化に気を良くした私は、デンチャー生活が始まって以来ずっと避けていた、薬味の長ネギやキムチの咀嚼へ果敢に挑戦してみた。
器具が薄くなった恩恵は計り知れず、前向きに慣れていけそうな予感が走る。
なるほど、歯科医師による適切な「調律」さえ施せば、世界はこれほどまでにマシになるのだ。
そう、あくまで「マシ」になった、というだけである。
「やったぜデンチャー! 万歳!!」と薔薇色の絶頂を迎えるわけではないけれど、あの初期の不快感から見れば、口内での存在感は随分と大人しくなった。
今まで星飛雄馬の『大リーグボール養成ギブス』のごとき不骨な初号機をハメられていたせいか、この『第2形態』がもたらす解放感はだいぶ楽に思える。

「キムチがうまく噛めていないのでは?」という一抹の違和感は残るが、実際にはちゃんと噛めているのだ。ただ、デンチャーが私の生きた神経と繋がっていないために、感覚だけが虚無を彷徨っているにすぎない。そう、自分に言い聞かせる。
世間では亀梨様と田中みな実様の結婚祝福で華やかに湧き上がっているというのに、私ときたら寝ても覚めてもデンチャーのことで頭がいっぱい。あまりにも無慈悲で、あまりにも孤独な私の脳内世界よ。
D+15:朝の歓喜、そして電話口の挫折
朝、目覚めた瞬間に元気にデンチャーをドッキングする。
「今日こそは、上手く付き合える気がするわ!!」
昨日手に入れた軽量ボディに、根拠のない万能感が私を支配していた。
しかし、現実は非情である。仕事が始まり、1発目の電話が鳴り響く。
受話器を取る。……話せなくはない。けれど、私が生業としているのはスピードと正確さが絶対条件の電話応対なのだ。
対面で人と淑やかに話す分には問題ないのだろうが、電話という歪んだ拡声器を通した世界では、私のフガフガとした迷いは致命的だった。
無理だわ。諦めましょう。
ここまで薄く削ってもらい、自分としては違和感を極限まで減らしたつもりだったのに(違和感はドレスの裾のように常にまとわりついているけれど、あの地獄の2週間に比べたら遥かに薄くて話しやすいのよ)、それでもなお仕事の現場で「話せない」という事実は、流石に乙女の心をパツンと傷つける。
普通に人と会って会話をする分には、おそらく周囲も気づかないレベルにまで達しているはず。ただ、電話だけは……。
本日もまた、静かな挫折を1つコレクションしてしまった。
この、ほんの少しの進歩に一喜一憂する日々が、たまらなく切ない。いつまでも霧のような不安が付きまとう。
けれど、デンチャー生活はまだ始まったばかりなのだ。
こうして夜、PCに向かって文字として紡いでいくと、澱(おり)のように溜まった心が綺麗に整理されていくのを感じる。
愛おしい読者の皆様にアウトプットを捧げるため、このブログを始めて気づけば2ヶ月が経とうとしているのね。毎日律儀に更新しているわけではないから、トータルでの執筆日数はそれには及ばないけれど、私の言葉の旅は確かに続いている。
D+16:サムギョプサルの洗礼と、絡みつく白い罠
本日も、夕食の鐘が鳴ると同時にデンチャーをドッキング。
今夜の舞台は、近所のスーパーで安売りされていたサムギョプサルである。
かつてのように、本能のままにお肉を口いっぱいに頬張りたい衝動に駆られたが、それはあまりにも危険な賭けであった。万が一にも、この繊細なプラスチックの器具が口内で粉砕してしまっては堪らないという恐怖。
けれど、サムギョプサルという高潔な料理は、サンチュという名の緑の葉に、キムチと長ネギを美しく重ね合わせ、一口で豪快に口内へ放り込むもの。それが美学であり、アイデンティティだ。
私もその鉄則に背を向けることなく、大胆に放り込んでみた。
しかし、あまりに無謀だった。
頬張りすぎた弾力ある肉塊が口内を占拠した瞬間、親知らずのあった聖域(歯茎)は、ぬるりとした重苦しい鈍痛に包まれ、じわじわと禍々しいお熱を帯び始めたのである。
自前の歯であれば、洗練された神経のコントロールによって、歯茎を傷つけないよう食材のポジションを微調整できるのだろう。けれど、無機質なプラスチックの塊は、そんな乙女の空気を一切読んでくれない。ただ愚直に、私の脆弱な歯茎を圧迫するのみ。
「いけない。このまま無謀にアムアムと噛み続ければ、取り返しのつかない激痛の迷宮に迷い込むことになるわ」
私の脳内アラートがけたたましく鳴り響いた。
中盤からは、まるでお嬢様のディナーさながら、お肉をお箸で無理やり半分にカットし、なんとか淑やかに完食。もちろん、相棒たるワインを流し込みながら。
学んだわ。これからは、肉という肉は、自分が思っている「半分のサイズ」に美しくカットして食すのが正解かもしれない。
ハンバーグのような従順な柔らかさなら問題ないけれど、厚みのあるサムギョプサルや、傲慢なサイコロステーキに挑むのは、なかなかに難易度が高い。
宴の後半、私は JUDY AND MARY の名曲の一節さながらに、クラッカーとカマンベールチーズとワインを嗜み始めた。
クラッカーの脳内イメージは、もちろん沢口靖子様が主催するあの麗しきリッツパーティーである。
しかし、ここで予期せぬ伏兵が現れる。
カマンベールチーズとクラッカーが口内で混ざり合った瞬間、先日のポテトチップス同様、水分を失ったクラッカーが濃縮され、そこにチーズの油分が合わさり、とてつもない粘度を持ってデンチャーの裏側へと絡みついてきたのだ。
それはまるで、口内に放り込まれたキャラメルのごとき執拗さ。
私は大慌てで、ワインという名の濁流でそれを洗い流さざるを得なかった。
それでも、好きだから私は食べるのをやめない。
これからの私は、宮殿に囲まれた上品なお嬢様のように小振りの食材をちょこちょこと、美しく口へ運ぶライフスタイルへとシフトすることにするわ。
口内の相棒(デンチャー)が空気を読んでくれるその日まで、私の上品なお嬢様ごっこは続く。
慣れるのが先か、ワインの量が増えるのが先か。戦いは、まだ始まったばかり。今日も最後までお付き合いいただき、ありがとう。また次の検診(デート)でお会いしましょう。